FREE SPIRIT の巻

 1978年12月。
あの事件で、少年の心は大きく傷ついていた。
同級生の女子達は「大丈夫だよ、きっと戻ってくるよ」と根拠のない言葉で慰めてくれたが
揶揄する同級生も多かった。彼らを尻目に少年はかつてない寒い冬を感じていた。
ニュース番組で言いたい放題の俵孝太郎が大嫌いになった。
「ナオトちゃうわ、ボケ!ヒサトじゃ!しょっぱなで間違えといて何偉そうにぬかしとんねん」
虚しかった...............

そして春。4月30日 朝。同級生のひとりが「アツシ、これ見たか!?」と
スポーツ新聞の切り抜きを目の前に突き出した。
「チャー、突然現る!」
まるでゴジラでも現れたかの様な見出しに目を奪われた。
サングラスに口髭をたくわえていても、それは間違いなくレスポールを弾く「あの人」の姿だった。
前日日比谷野外音楽堂で行われたカルメンマキのライブにゲスト出演した記事だった。
少年にとって長い長い、寒い寒い冬がようやく明けた気がした。

6月。正式なアナウンスはないものの神大のオールナイトロックフェスには
何かが起こる予感がした。出演するカルメンマキバンドにはチャーがいた。
バックスバニーにはジョニー吉長。久保田真琴バンドにはルイズルイス加部の名前があった。
Johnny,Louis&Charとしても演奏するであろう事は少年にも予測できた。
そして実際彼らはそこで演奏した。

しかし少年はそこへは行けなかった。1979年当時、少年がオールナイトロックフェスに
参加できるワケがなかった。なにせ未成年者は午後5時で会場を出なければならなかった。
「夜通し行われるオールナイトコンサートに父兄同伴者以外の未成年者が参加する事は
不健全極まりなく、非行に繋がる」とされていた。まぁ当然といえば当然、
今どきの少年が明け方クラブから出てくる方が異常だ。

期待は7月に日比谷野外音楽堂で行われるというフリーコンサートへと持ち越された。

7月14日(土)。
期末テストの真っ最中だった。
一緒に行く約束をしていた友達は6人が4人になり、結局2人だけになった。
学校から速攻自宅へ帰り着替え、電車に飛び乗った。

初めての野音。
雨。


野音の入り口に辿り着いた。
すぐに入れるものと思っていた少年には、目の前の長蛇の列の意味が判らなかった。
列の最後を探す。
「一体何処まで続いているんだ?」走った。とにかく走った。
列はまさに蛇のごとくクネクネと曲がりながら日比谷公園全体にまで広がっていた。

おかげで少年は初めて来た日に、広い日比谷公園の全貌を把握してしまった。

「入れないんじゃないだろうか?ここはこんなに沢山の人を収容できる程広いんだろうか?」
それ程の人の数だった。
物凄く不安になった。整理券などなかった。誰も見られるという確証をもっていなかった。


どれだけ時間が経っただろう?ようやく入口ゲートが見えてきた。
「頼む!目の前で『ハイ、入れるのはここまでです。』っていうのだけは勘弁してくれ」
心の中で祈った。

入れた!

会場は満席。
すでに通路も塞がりつつあった。
ギターアンプがステージ上手(かみて)に確認できた。
「よし!あっちだ!」
ようやく通路に自分達の居場所を確保した。

辺りを見回す。
色々な人がいた。
恐そうなロックにいちゃん、美人のOL風、ホステス風、サテンハッピのおねいちゃん。
通常チャーのコンサートはハッピのおねえちゃんばかりだったらしいが
少年は前年、「男だけのコンサート」を経験していたので違和感はなかった。(注1)


そして彼らが登場した。
「ルイス..まーちゃん! そして兄貴のジョニー! 俺だっち!」
君が代で幕をあけた。
そしてVooDoo Chileのリフ。
「恭ちゃん、(注2)ありがとう!恭ちゃんがIn The West聴かせてくれたおかげでコレ知ってるよぉ〜!」

そこからはもう「これがチャーの新しいロックかぁ〜!」だった。
「ベースがギターと同じ事弾いてる!」少年は初めて「ユニゾン」を知った。

風に吹かれて...で少しCOOL DOWN。歌詞が妙に耳に残った。
知っている曲...表参道で自分たちのいる場所だとキーボードを弾く姿が
PAスピーカーの陰に隠れてしまう事に気付いた。100%見えなかった。(笑)

長い冬の間聴き続けた大好きなLeading of The Leaving 。

籠の鳥に入る前のMCで「スマック」というスラングを覚えた。(笑)
帰ったら恭ちゃんにリトルフィートを借りよう、と思った。

Aren't You Readyがやたらヘヴィな曲に聞えた。歌詞はロクになかった。

Doll Baby,かっこよかった〜やたらまーちゃんを煽っていた。

Smoky。人の津波を初めて見た。恐かった。
当時は現代の様に...予定調和的に1曲目から総立ちなんて事は誰のライブでもなかった。
客にも「見せてみろ」的な意識もあったし、現代の若者の様に簡単に自分を開放できない
シャイな所もあった。抑えて抑えて抑えて我慢しきれない所まで来た時に
一気に爆発する


だからその瞬発力と爆発力は凄まじかった。(そんな物を実体験しているものだからイマドキの
「1曲目から総立ち」はウソ臭くてかえってシラケる。)
ムスタングを逆さまにしてヘッドをフロアに叩き付ける!そ、そんな事しちゃお友達が可哀想でしょ!

アンコール。
Wondering Again。
気付くと隣りの美人OL風おねえさん達が泣いていた。
周りを見回す。皆、泣いている。
彼が戻った事が嬉しかったのであろう事は少年にもわかった。
でも、それならオープニングで号泣している筈だ。
ここへきて、この曲で泣く。この曲だから泣いているんだ。

「俺、絶対ミュージシャンになる。人を泣かせられるだけのミュージシャンになる」

少年の人生が狂った瞬間だった。

Shining You
ゲスト陣がコーラスに加わった。
「リューベン」がいた。「金子マリ」がいた。
「原田真二」がいた。
あれは...しーたかさんだろうか?
期待した「カルメンマキ」はいなかった。
まだ松葉杖生活なのだろうか?
チャーが原田真二に耳打ちした。
真二がキーボードへ向かい、ジョンと交代した。
可哀想なジョン!

フィナーレ。
少年は放心状態のまま、帰路についた。
案の定期末テストの結果は無残なものだったが、
少年は1回のテストの結果よりも、内申書よりも
大きく大切な物をステージの3人から受け取っていた。
「風に吹かれてみませんか」の歌詞はそのまま少年の生き方になった。


それから25年の間に少年は小遣い程度の金を稼ぐギタリストにはなった。
確定申告で職業欄に「音楽家」と書くか「ギタリスト」と書くか迷った事もあった。
(結局、「あ、演奏家って書き直してもらえます?」と軽く言われた:笑)
しかし人を泣かせられるミュージシャンにはなれなかった。

そして今はここでフレットの擦り合わせで痛めた腕を擦っている。
コンプリート盤のリリース日を指折り数えながら.....


photo by Atsushi Ito (Sound Loft)
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画像の掲載は2004年DIBSさま、2018年ZICCAさまより許諾をいただいています。






注1:それでも少年の隣にいたのは男装した女性だった。:笑
注2:恭ちゃん:1コ上のセンパイ。やまもときょうじ という名前だったがあの山本恭二ではない:笑



矛盾してるじゃん!?いやいや、照れ隠しよ(笑)同じ時代のアナザーストーリー。バックナンバー「TENSAWの巻」はこちらをクリック!


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