天惣の巻



  なんだかね、ウチを「オーナーがチャーさんファンの店」みたいに紹介して下さってるサイトも
多いみたいなんですけど、多分..........チャーさんよりTENSAWの方が影響強かったんですよ、オイラ。
告白しちゃいますけど。
月1回、多い時は月2回、オラが街ドブ板に来てましたから無理も無いでしょ?(笑)

1980年。覚えてます?クソみたいな時代。EPIC全盛、みたいな。(苦笑)
TENSAWみたいなバンド、ぜ〜ったい売れない時代だったし、受け入れるハコもなかった。(っていうかハコの数も少なかった)
のちにセイボーもインタビューで発言している様に「ロック演れる店なんか無くてさー、横須賀のRock Cityで演ってた」ので
(実際は横浜日出町のグッピーも多かったですけどね)デビュー前から見ていましたっけ。
確かチャージが\1,000.でね、ワンドリンクフリー。店で一番高い飲み物がシンガポールスリングで\700。
必ずそれ飲んで、バンドには\300.しか行かなかった計算。悪い事しちゃったな。
っていうかオマエ未成年だろ〜(笑)

米軍基地の街だからね、兵隊も多かったなー
アンコールの呼び声も「アンコール!アンコール!」じゃなくて「One More Time! One More Time!」とか
「We Want More!」なの。ROCK CITYは。今じゃ珍しくないかも知れないけど。

その頃はもう嶋田さん(最近チャーさんと演ってる嶋田さんね)じゃなくてグリコだったから、
「グリコが嶋田さんのローディだった」時代は知らないっす。
ローディは遠藤さんって「フランクマリノみたい!」なヘアースタイル。なんか「赤いスタジャン」って印象が強いなぁ。
国立から横須賀まで遠いでしょ?みたいな...(笑)
オイラはお店の常連になってたので店開ける前のサウンドチェックから見てて....
TENSAWのリズム隊+遠藤さんで「Tomorrow is Comming For Me」なんてぇのを聴いた事もありましたっけ。


この頃はまだESPじゃなくて、フェルナンデスのモニターをやっていたし、タケさんもストラトっていうより
SGスペシャルの出番が多かったので、サブ用にフェルナンデス製の「タケさんのSGスペシャルのコピーモデル」
みたいなのが2〜3本。アンプはHIWATTじゃなくてPEAVEYだったなぁ。プラス店のYamaha F100を2台、パラってる事も。

そうそう、この頃お昼に日テレで放送してた「キンキン・ケロンパ シャボン玉こんにちは」って番組にゲスト出演した
マチャアキのバックで横一列に並んだタケ&ミチアキを発見。後日サウンドチェック後にタケさんに確認したら
「そ〜だよ、俺達だよ。あそこ(アチャアキのバック)でミチアキと知り合ったんだよ」と教えてくれたっけ。
横でマネージャーの寺島さん(加部さんのMoon Like Moon」で「ねぇちゃん、イカレタね〜ちゃん」って唄ってる人ね。
元々ヴォーカリスト、後にPink Cloudのマネージャーに)
が爆笑してたなぁ...(笑)

ちなみにその「キンキン・ケロンパ〜」って番組がきっかけでキンキンとケロンパは結婚するワケですが
ど〜でもイイですね、そんなウンチクは。(笑)

そういう....色々な人のバックを務めて大ホールを沸かしてきた様な猛者達が、100人も入れば
酸欠になりそうな(実際何度か体験:汗)小さなハコで、しかもあの爆音で(爆)聴かせられたら
そりゃ、あ〜た、16〜17のガキは感化されますって。(笑)

当時オイラがやってたCROSS TOWNってバンド、最初の内はジョニルチャとかジミヘンだったのが
TENSAW寄りになっていったのも当然の流れ。
12月24日がウチらのライブで翌25日がTENSAW、って事があって...ステージに落ちていたウチらのセットリストを
ミチアキが拾って、店のスタッフに「誰?これ?」って訊いてるのを見てコソコソ外へ逃げた事もありましたっけ。
ベースのテツは「オイ、アンプ買ってツアーに出るぞ」って言ってミチアキと同じサンのコンサートベースアンプを
買い、オイラはタケさんと同じHIWATT CUSTOM100を36回スーパーローンで買う羽目に。
金利だけで7万以上払ったな。(涙)
結局CROSS TOWNはツアーに出る事もなく解散。ドラムのウラケンとベースのテツはそのまま
のちにX(JAPAN) 入りするhideのサーベルタイガーに参加、オイラは6才年上の人達とバンド作って..
その流れでインチキ事務所に入り..まぁ、いいや。この辺の話は。(笑)

面白いのは、その時のHIWATTもSUNNも「今、この店にある」、って事でしょうか。売り物ではありませんが。
ま、いつかCROSS TOWN再結成なんて事があったら...ね。その日の為に。
(に、してもHIWATT維持すんの大変なんっすから...:涙)


...話戻って...んでTENSAWデビュー。SEE-SAWレーベルの絡みでロッカーズ、子供ばんどもROCK CITYに出演。
1981(?)にはジョニルチャも初登場となったのでした。出所直後のマキ&5XがTENSAWの前座なんて事もあったなぁ..

その辺でTENSAWはESPのモニターになって....「俺達もさぁ、モニターになった以上なんか結果っていうか
効果があった事を実証しなきゃいけないじゃん?」って言われて(苦笑)ESP紹介してもらって
作ったのがこれ。確か1966年のダコタレッドムスタング売って金を作ったんだよね。

当時フリッカーが出来たばっかりで雑誌の広告とかもイメージキャラクターはタケさんだった。
で、その頃タケさんビルローレンス使う事が多くて、1Vol.、1Toneだったから.....同じ仕様。(笑)

ね?HIWATTもビルローレンスもチャーさんっていうよりタケさんの影響
まぁ、共通項って感じではありますが。(笑)

ジャーニーの前座の時はなぜか行ってなくて....交通事故で入院している所に
友達が見舞いに来て...「TENSAW解散しちゃったよ」って....


時は流れて1983年。1本の電話。
「タケですけど。SG買わない?」
って。(笑)
速攻タケさんちへ。当時は宇崎竜童&RU-6って超豪華メンバー(松浦さん鮫島さんの元TWIST組にラッキー川崎さん、
リューベン....あれ?あと一人って誰だっけ?)のバンドにいたタケさん。
自宅には今でも宇崎さんが使ってる黒いテレキャスが置いてありました。
「これXXXXXがXXXXXXでXXXXXってるんだよ〜」って秘密を教えてくれましたっけ。

で、まぁ交通事故で成金と化していた少年は相場の倍近い値段で買うワケですよ。
ネック1回折れてるのに。「まぁ、俺の足も1回折れたしイイっか〜」って(笑)その日の写真がこれ。
オイラに渡す前に「記念に」ってマンションの屋上で写真撮ってましたね。その写真まだ持ってますか?タケさん。

1983年4月 ROCK CITYの向いにあったウエスタンショップmimiさんで撮影。(笑)
1983年にベルボトム履いて品川まで行ったのか。スゲーな、俺。(爆)


その後も数回ご自宅にお邪魔して.....
ある日新しいストラトが2本あって...ゴールドとメタリックグリーン...
ゴールドの方は佐野元春のプロモビデオやライブビデオで見られますが...
そのネックは当時は珍しいオイルフィニッシュでグリップ感最高〜!
ってワケで速攻ESPで同じネックを作ってもらい黒いストラトに差し替えたり。

で、その後ナビの黒ストラトは「初めてスタジオで金稼いだギター」になるんですが
SGの方は大した出番もなく10年の月日が過ぎるワケです。出番がなかったのは
タケさんから買った時点で、「楽器として終ってるなぁ」って感じだったから。
なんか「売る、ってぇのも判るな」みたいな。(笑)
アマチュアレベルとは使用頻度も比べ物にならないし第一TENSAWで使ってたんだから(笑)
仕方ないっちゃぁ仕方ない
リフレットしたり色々トライしたんですけどね....
ピッチの甘さは元々ネックの弱い子だったから、って気もします。
このSG、今どこでどうしてるか知りませんが...もし現オーナーさんが見てたら
ごめんなさいね。勝手な事言って。でもそう思ったのよ。当時。


別に無理に売る必要もなかった様な気も(今では)しますが1993年か94年に
大した金になる事もなく、売られるワケです..................


































そして更に10年。
中古屋のオッサンになった元少年の所に来た1本がこれ。

ヤバイっしょ?これヤバイっしょ〜?
ラージピックガードのSGスペシャルは過去にも扱ってるけど
コレそっくりだよぉ〜 ネック1回折れてる所まで(苦笑)そっくりだよぉ〜
これは俺が買う〜!
あ〜ぁ、昔宇崎さんも歌ってたろ?商品には手を出すなって。(笑)

ネック折れもタケさんのヤツより丁寧に治されていて...というか全体に
調子の悪い所はきちんと治しながら使われてきたって感じ,現役感が伝わってきて好感持てました。

バダス「タイプ」を「バダス」に換え、配線もタケさん仕様に。(内緒よ:ムフ)
唯一ペグはクルーソンの新しいのが付いてたんですが
あえてグローバーにはせず、このままに。頭下がっちゃうから。(笑)
今板バネアーム跡を隠すステッカーを製作中です。(笑)
あー便利な世の中だ。パソコンとプリンターがあれば作れちゃう。

コントロールノブは違うのが付いてたのでソンブレロにして.....
タケさんのはフロントボリュームのノブトップを黒くマジックで塗っていたんですが
オイラに渡すとき「落としてあげるよ」って(「そのままでイイです」って言ってるのに!:苦笑)
奥さんの除光液で拭いたらトップの「VOL」の文字まで消えてしまったという(笑)
仕様(?)だったので、そこも再現して......
くぅ〜!楽しい〜!!




1981年にスタッフが資料用にROCK CITYで録音した(っていってもラジカセで:苦笑)テープがあるんですが、
やっぱり凄い。この時代のTENSAWは神がかり的なケミストリーがある。
なによりあの爆音だったハズなのに何?このバランスの良さ。PAなんかヴォーカルとバスドラしか
通ってなかったのに。一体中音はどうなってたんだろう?いや1mと離れていない所で見てて
全部のパートを聴き取れてたんだから演奏者達も聴こえていたハズ。じゃなきゃあんなインプロ
ありえない。

このテープを聴く度に「今はPAに頼り過ぎだよな」
って思います。(←おっ?ここか?今回のお題は:笑)
やっぱ70年代組のセンパイ達はスゲーよ、実際。
イマドキのライブハウスって、「え?この程度の広さでこんな豪華PA?」って所、多くないっすか?
んで、リハ見てると 「え〜すいません、ベースもう少し返して下さい」 な〜んて
「10年早いんだよっ!」みたいなバンドがいたりして。おっと熱くなっちゃった。

20数年前、オイラと一緒にやり始めたドラム、4〜5才年下だったと思いますが
やたらとハットの音がうるさい割りにバスドラがしょぼい。バランス悪いぞと指摘すると、「いや、PA通すと丁度いいんですよ」って。
「オマエそれは違うぞ!」とやんわり(笑)言いました。
数年後再会した時に、「あの時の意味が判りました」って言ってくれたから良かったですけど
そん時は 「コイツなに言ってんだ?」って本気で思いましたっけ。
彼と演る前は5〜6才年上と一緒だったので尚更です。
「10才違うとこんなにも腑抜けるのか」と愕然としたのを覚えています。

センパイ達は第一世代〜第二世代ぐらいだから、今みたいに機材も豊富じゃない時代に
育った、鍛えられた人達だし、半端な機材に泣かされた経験もあるから全然信じてない。自分達以外。
だから相手の音をよく聴いてるし(集中して聴いてないとわからなくなるから?)だからそこから
曲が化けていく。そういう事なんじゃないかしらん。

コロガシの置き方とか、中音(ナカオト)とPAから出る音聴いてる客席の音は違うとかね、
覚えるべき事はあると思うんですけど、まずはPAなしでも演れるぐらいの耳とか緊張感とかコミュニケーションとか。
あると思うんです。
TENSAWを始めSee-Sawレーベルのセンパイ達がROCK CITYで演ってた時なんて、一応用意されてたショボイ
モニターも客席向けてPAスピーカーとして使ってましたよ。つまりモニターなし!(笑)
全てを外へ!外へ!放出しているかの様でした。



さて現代。閉店期間を経て、数年前にROCK CITYも復活。
ミチアキがジャズベを突き刺した天井の穴は塞がれちゃいましたが
こいつ持って出ようかな?そ〜すっと、やっぱHIWATTかな?重たいなぁ。(笑)



オッサンを少年に戻してくれて、色ンな事思い出させてくれたSGに感謝!





蛇足:TENSAWって名前の由来、昔ヤングギターかなんかに「イギリスの古い習慣でクリスマスツリーを飾りつける物」って
    コメントしてたんですが、ホントは「天惣食堂」が由来だって知った時はCharが「ひちゃと」だったと知った時と同じぐらい
    ぶっ飛びました。辞書引いたりしてたのに。「天ぷら惣菜かよ〜」って(笑)こんな所も共通項?

業務連絡:ミチアキさん、76〜77年頃セイボーと一緒にあおい輝彦のバックやってた映像がありますけど、見ますか?
       ギャー!殴らないでー!(笑)


横内健亨WEB SITE
Michiaki Suzuki Web
GRICOのホームページ
セーボーのホームページ


探せば出てくるモンで80年〜82年にステージを終えたタケさんからいただいた
ピックが出てきました。どぎつくエグレてます。(笑)ロゴマークはタケさんが考えた物で
練成陣を模した物っす。最近見たアニメに似た様なマークが出て、
おじさんちょっぴりドキっとしちゃいました。

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後日このページを見たミチアキさんから、「笑えた」とメールをいただきました。
後日aLiveスタジオで 「TENSAWの事書いてる他のサイトとは
なんか切り口違う感じで面白かったんだよ,
単なるリスナーと実際演ってるヤツの違いっつうかさぁ」と
グリコさんに伝えてる横で私こっそり泣いてました。(笑)

新作ミックスの最中、ミックスとは関係ない雑談をしていて
「全然集中してないじゃん、こんナンで大丈夫なの?」と思ってたら
突然ミチアキさんが
「そこのアタマ、シンバル抜いて」
と仰った時は 「やっぱスゲー」と思いました。


益々のご活躍をお祈りしています。
いつか一緒に遊んで下さい。



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